反骨精神を源に軽い冗談から重い本音まで・・・
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今朝、カナダのモントリオールで行われている世界水泳でシンクロナイズドスイミングの日本代表が銀メダルと勝ち取りました。
おめでとうございます。

私も縁があってこの生放送を見ていたわけですが、正直言って

全く感動しませんでした。

まあこの表現は私が「感動」という言葉に一般人よりおそらく重きを置いているため、多少の語弊があるかもしれませんが、私としてはそうだったのです。

「感動」についてですが、よく映画の宣伝などで、見終わったらしき人たちが「超感動しました~」とか言いますが、あのせいで感動という言葉に私が重きを置くようになりました。だって明らかにあの人ら感動まではしてないでしょ?

映画を見る前と後とで

考え方や生き方が変わったんですか?


おもしろかった。泣いた。笑った。ただそれだけのことで大げさな。
それぐらい日常でもやってるでしょ。
それが感動だって言うんなら感動なんてもう大したことじゃないですよね。
でもそんなんじゃ本当に感動した人達が使う言葉がないじゃないですか!

だから「感動」と言うからには、その後それ相応の影響を受けた生き方をしてもらうぐらいでないと嘘だと私は思うわけです。
この人の感動なんてそんなもんか、とね。


でまあシンクロの話に戻りますと、私はシンクロを経験したこともなければ知識も全然ないんです。おまけに感性もない。
例えばスケートなら回転数が多いジャンプがいいとか、着地の姿勢だとかがポイントになるんでしょうけど、それでもあんまりよく解ってないのに、シンクロだとどの技が難しいのか全然解らない。
素人目にはそろってるように見えるのに解説では「今のはちょっとずれてましたね」みたいなことを言ってる。

それでまあ日本が銀メダルを取ったと。
凄いことです。世界二位なんですから。頑張らないとできないことなんですから。でも私は

絶対にその凄さを解っていない!

パフォーマンスの凄さが理解できていないというだけではありません。その人達がどれだけの期間どれだけ努力して、どんなことに気を使って、どんなものに耐えてそこにたどり着いたのか。全然解りません。

だから決して感動できていない

応援の気持ちやねぎらいの気持ちを持つことは出来ても、真の感動なんてテレビの前に放送時間の間座ってるだけで味わえるわけがない!

あの場で湧き起こっている感動、つまり達成感は

努力し、成功した者にのみ与えられる特権

だと私は考えます。

もちろんそのシンクロを見て感動しその後シンクロの道を歩む人もいるかもしれない。しかしその時感じたものを本当に自分のものとするためにはやはり努力し、成功しなければならないのではないかと思うのです。


しかし、そこまでの最上級とも呼べる達成感を得るためにはそれ相応の努力をしなければならない。それは自由や欲や一般的だと考えられる生活などをそれ相応に捨てなければならないということでもあります。

どちらが幸せなのかは解りません。

一般的な生活を送る大多数の人には味わえないような強く大きく濃い感動を経験することに賭けて、他の楽しみを犠牲にして生きるのか。
それとも大多数の人が味わっている一般的な生活や楽しみというものを自分も経験してみるのか。
両方失うことはあっても、両立できることはまずないでしょう。

しかし或いは、どちらの人生も

幸せなものなのかもしれません。
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私の親は漫画から得た知識というだけでバカにしてしまうような型にはまった残念な人なのですが、私はそうは思いません。
よく子供には漫画ではなく活字を読ませるべきだと言う人がいますが、私は必ずしもそうだとは思いません。むしろ

漫画は読むべきだと思っています。

音楽と詩を合わせた歌に両者とはまた違った性質があるように、イラストと活字が組み合わさった漫画にもまた違った要素が多分に含まれていて、どちらが良いというのではなく、それぞれに良いところがあるのではないかと思います。

例えば、活字を長時間読むのには相当な集中力が必要ですが、絵により状況を把握しやすい漫画には読みやすさというものがあります。しかしそれは裏返せば活字の方が自分の想像力を高め易いということにもなります。

そして私が一番評価している漫画の要素が

とっつき易さです。

普通活字の本を読むときは、その本一冊をまるまる読まなければなりません。しかし漫画であれば、色んな漫画がいっぱい載っている雑誌を見て、目に付いたものをとりあえず一話だけでも読んでみるということができます。

昔の事などに全く興味のない子供がいたとして、いきなり「赤穂浪士」をそれが好きな大人の気持ちからその子に薦めたところで、気乗りしないまま読んだとすればそれはいい読書にはならないのではないでしょうか。

それならばまず過去の時代を舞台としたギャグマンガでも読ませてみる。ここで重要なのは漫画というのは意外と

セリフがしっかりしているということです。

過去の時代の漫画だとすれば、結構古語を交えてしゃべるキャラが出てきたりして学ぶことができるのです。ヒーローものの漫画ならば活字の部分が少ない中でウマイことを言おうとして、慣用句や普段使わない言い回しなどが出てくるものです。

また、スポーツ漫画などではリアリティーを持たせるために色んな最先端の科学的な知識が散りばめられ、必殺技の根拠となっています。自分がやったこともなく、しようとも思っていないスポーツの知識を何気なく手にいれることが出来るチャンスなどはそうそうないはずです。


「ドラゴンボール」によって正義とは何なのかを子供心に多くの人が学んだはずです。
「巨人の星」で魔球を真似た人、「ブラックジャック」で医者を目指したくなった人、「スラムダンク」でバスケ部に入部した人、いろいろいると思います。
「ゴルゴ13」を読めば各国の政治・経済情勢まで学べます。


ただここで漫画を読むときに注意していただきたいのは、読むジャンルを限定して欲しくないということです。ジャンルを余りに限定してしまうとそれは

オタクの可能性が出ます

いやもちろんオタクでも何の問題もありませんし、私はオタクでおもしろい人が大好物ですし、オタクになる可能性は活字でも同じことです。
ただ漫画は知識や知恵を得るのに有効だから読むべきですよと主張する手前、その可能性をご了承下さいという意味です。

まあでもオタクだとしてもできれば色んなジャンルに挑戦してみて欲しいです。漫画というのはそれがとてもしやすいものだと思うから。

そして、個人的には小学生に早くコロコロコミックやコミックボンボンを卒業して少年誌を読み始めて欲しいものです。親御さんも必死に活字の本を読まそうとするのではなく、漫画の年齢的レベルを上げるということにもっと関心を持つべきだと思います。


皆さんはどんな漫画がお好きでしょうか?
今日は買い物に出かけた後友達と別れて一人バイトに行きました。
その途中に駅のホームでジュースを買いました。
今日のブログはただそれだけのお話です。



私がとてもとても小さな頃、まだジュースは100円でした。

それは今よりとてもとても高かったのです。

当時は遊びに行くときにねだって貰える一日のおこづかいがちょうどその100円だったのですから。
いくらはしゃいだって、いくら汗をかいたって、いくらのどが渇いたって、そう簡単にジュースは買えません。
当たりつきのガムに、チョコに、ゼリーに、スナック、食べたいものは山ほど駄菓子屋にあります。自分で買うとすれば、余り冷えていない数十円の小さなジュースがせいいっぱいでした。

ふと横を見れば、お金持ちの子がいます。駄菓子の入ったビニールを下げながらジュースにたこ焼きまで!
でもそれはそれ。うらやましくないと言えば嘘になるけどそんな不公平なんてどこにでもある話。自分だってきっとまだ幸せな方なんだし。

でもいつか、大きくなって、もっとおこづかいが増えたなら、のどが渇いたらすぐに大きなジュースを飲もう。たこ焼きまでは贅沢だろうけど、友達の家までわざわざ行ってお茶をもらうんじゃなくて、皆で好きなジュースをその場で好きに飲もう!


そんなアホなことを考えていた子供の頃の自分を

また今日もいつものように思い出しました。

たかがジュースごときで何を大げさに今でも思い出すぐらい強く心に念じているんだか。
大人になれば数万円の買い物ぐらいできるようになるんだから、ジュースなんてその時でも頑張れば買えるもの、そのうちすぐどうにでもなりそうなことはちょっと考えれば解ることなのに。
どうせ決意するんなら、もうちょっと大きいもんを買うだとか自由に扱うだとかにすればいいのに。えらそぶっていたわりには大したこと考えてないアホなガキ。でもそんなジュースごとき自由に買えないぐらい自分が無力で無能なガキなことに気づいているガキだった。
早く自分で当たり前のことを当たり前にできる様になりたかった。


さて、
電車に乗って数十分すればバイト先で冷たい飲み物が飲めるのは解っている。
でも今のどが渇いているから。120円・・・いや、150円も出してしまおう!


子供の時の自分からいつどこで何が変わったのか、ちょっとずつ、でもいつの間にか成長してしまったので、あまり実感が湧かない。子供の頃から理屈をこねまわしていたような気もする。
だけど自分のお金でジュースが買えるようになった。

まだアホだから、凄く幸せなジュースが飲める
皆さんが旅行に行くときにはどんな目的がありますか?

自分が見たいものを見に行ったり会いたい人に会うための旅行。
共に行動することを通してメンバーの結束を固めるための旅行。
何かが終わったり達成されたことを記念してのお祝い旅行。
新しい出会いや自分を見つめなおす経験を求めての一人旅。
都会での煩雑な生活から離れることで日常を忘れ心を開放する一種の傷心旅行。
などなど様々な目的の旅行があると思います。

しかし私が旅行に目的を持たせるとすればそれは

気の合う人と共に楽しい時間を過ごす

ということだけです。

それがない旅行なんて、私には何の興味もありませんし、そんなに楽しいものとも思えません。そんな旅行には、単なる暇つぶしではなくその旅行において少しでも楽しい時間を得るための雑誌や文庫本や音楽や携帯電話などが不可欠です。

そもそも上記の目的のためにわざわざ旅をする必要があるとは思えません。
最初にあげた「自分が見たいものを見に行ったり会いたい人に会うための旅行」は旅行しないと不可能で

すが、それのみの目的では旅行というより単なる移動じゃないかと思うわけです。


あと他に旅行しなければならないような理由は今のところ思い浮かびません。
まあもちろん必要性がなくとも色んな手段の中から旅行を選ぶのはその人の自由ですが、その人達の旅行の一番の必要性はおそらく

思いっきり羽を伸ばしたり遊び倒した

という気分になること
でしょう。

これさえ解っていれば楽しい旅行ができるはずです。
渋滞が嫌ならそんなとこに行くべきではない。人ごみが嫌いならそんなとこに行くべきではない。見たかったものがちょっとでもショボかったときにがっかりするなら行くべきではない。
ゆっくりしたいなら何事にも焦らずのんびりと。
遊び倒したいなら何事にも貪欲にがっつりと。
といった気持ちが重要なんではないかと思います。


さて、先ほど「上記の目的のためにわざわざ旅をする必要はない」と言いましたが、私が欲している目的のことも当然指しています。
つまり私は旅行自体が特に好きなわけではありません。
旅行なんてしなくても楽しいことなら私には山ほどあります。
マンネリのつまらなさを感じているんなら旅行で脱却じゃなくてその日常をどうにか楽しいものにするべきです。
もちろん旅行は人生で楽しい時間を過ごすための有効な手段の一つではあります。

ただ気の合う人だけは人生に不可欠です

この真上の太文字は主観的な私の持論なので反対意見もあるでしょう。
でももし私と同じ意見な人がいれば、旅行は単なる手段でもっと大事な目的が他にあると解っていただけることと思います。


以上を踏まえた上で、今まで自分は旅行が好きな方だと思っていた人。
あなたは本当になにかにつけてとにかく遠出する事が大好きな「旅行好き」ですか?
それとも旅行は単なる手段なだけの「人好き」ですか?
今日のテーマは「夜景・花火・星空」です。私は意外に嫌いではないんですよこれらを見るのが。まあ別に好きでもないですが。

実際にそれらを見ているときは、きれいかな~とはちゃんと思います。特に花火なんかは変化もありますし、爆発時の体に響く大きい音なんかは結構好きです。

でも余りに周りが褒めだすと冷めます。

皆が口々に綺麗だ綺麗だと連呼するんで、周りの雰囲気で綺麗だと思い込みたくない私は逆に疑問になってくるんですね。そんなにキレイか?と。

確かに綺麗です。

3日後には完全に忘れる程度に綺麗です。

まあこれは個人差あると思いますけどね。本当にその中に綺麗さを見出してそのことに一生従事して生きる人もいるわけですから。
でも私は全員が全員綺麗だと言いまくってることには疑問が残るんですよ。実はそこまで綺麗だと思ってないだろ?カワイイとかと一緒で「夜景=綺麗」のスイッチが入っただけだろ?どこの夜景もどうせ一緒に見えてんだろ?ちゃんといちいち覚えてんのか?とね。

例えば本当にうまい物だとどこのどれがおいしいだとかちゃんと覚えていて、何ヶ月かするとおぼろげながら味を思い出してなんだか急にもう一度食べたくなる。それは純粋にその料理のうまさに対しての感情なわけです。

でも夜景だとかはおそらく違う。何の前触れもなくふとあそこの夜景をまた見たくなるなんてことはないんじゃないかと思います。「どこか行こうか~」という機会や前フリがあって初めて頭に出てくる。しかも一回見た夜景では同じだから、違う夜景の方がいいなんて考えまで出てきそうです。

その綺麗さをふと思い出したとしてもそれは

星空の美しさそのものではなく

そのときの思い出全体を思い出している


ということが一般的なんじゃないでしょうか。

まあ私個人に関しては、「夜空・花火・星空」のどれに関しても深い知識はありません。なぜなら普段からそんなに興味のないものだからです。何度も見たことがあるにも関わらず、深く知りたいほどの興味は湧きませんでした。つまり私の目にはその程度のキレイさにしか映らなかったというわけです。

綺麗だと手放しで感動した人達はさぞ

興味を持って調べて知識が豊富なんでしょう。



とはいえ、私はそれらのものを見ることは嫌いではないのです。
それは、それらのものが

その姿を通して色んな想像力を掻き立ててくれる

もの達だからです。

この夜景の中でどんな人がどんなことをしているんだろう。花火職人の人達はこの一瞬のためだけに一生懸命花火を作っているんだなあ。空はでかいなー、大昔の人間はこの星達を結びつけて星座を考えたのかぁ、いくらなんでも無理ありすぎるぞ!などと思いを馳せることができます。

そういったとりとめのないことを考えながら見ていると、綺麗だなぁとかいいながら明日になれば忘れるものを何気なく見ているより、何倍も楽しくて何倍も癒される気が私はします。
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