反骨精神を源に軽い冗談から重い本音まで・・・
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
【--/--/-- --】 スポンサー広告
今日は既に眠いので言葉足らずになるかも。

今回はこれからウダウダとブログを書いて行く上で基本となる私の考えを1つ書いてみようと思います。まあ考えは不変ではないのでいつ別の意見になるか解らないですけども・・・


何で人を殺しちゃいけないの?

という問題を例にしてみます。

まずシンプルな答えが1つ、

法律でやっちゃダメって決まってるから!

道徳がどうこう以前に自明の理ですよね。
現在日本でやっちゃいけないことって何なのかを決めた中に入ってるんですから、もう理屈抜きでやっちゃダメなんですよ。当然ですね。

まあ法律の主旨を考えても、人を殺していいなんて社会にしたら世の中カオスに至るってことは『北斗の拳』でも読めばすぐ解ることですよね。


でもまあそういう上からの押し付けみたいなことじゃなくて、理論的に何でやっちゃいけないのかと。


自分が理不尽に殺されかけている時でも相手を

殺してはダメなの?


とか言われたらどうします?



私の意見はダメだけど仕方が無い!です。

基本はやっぱり人を殺してはダメです。これはちょっと聖人君子的な考え方ですね。
でも「自分が○○されるのが嫌だから相手を○○する!」というのは自分勝手な考えだと思いませんか?「いじめられるのが嫌だからいじめる」ということを良いことだと思いますか?私はダメだと思います。

しかし、人間はそうそう聖人君子ではいられません!いじめ云々なら別の方法で解決できたりするかもしれませんが、生き死にの問題となればガムシャラになって当たり前です。実際に今現在自分が生き抜くために色んな生物を殺して食べているんです。食べるだけじゃなく、自分の生存行為のどこかで何かを死に追いやる行為を助長・黙認していることぐらいちょっと考えれば解るはずです。

ならば、殺される前に殺すというのも同じ道理ではないでしょうか。生きるため、生きやすくするために仕方なくやる行為だとしても、それが良い事なわけではなくいけない事であるのに変わりはないはずです。

ここで重要なのは


「仕方無い」ということは「許される」

ということではない!



ということです。

誰かを殺すことに仕方ない理由があったとしても、それだからといって許されるということではないと思います。(法律的には大丈夫だとしても、今は法律論を超えた話ですので。)

その人は、自分が生きるために邪魔な他人を殺したことは事実です。皆ある意味似たようなことをやって生きています。
でもそこで

自分は悪いことをしてでも生きていくのだ

という覚悟を決める


ことが必要だと思います。もちろん悪いことの限度に個人差はあるでしょうが。

それを

自分は他のものを押しのけてでもそれをやるという


「選択を自分でした」


ことは棚にあげて


押しのけたことは許してもらうのが当然だ


なんて考えは悪どくないですか?


でね、こんな大げさな話をくどくどしといて日常レベルで何が言いたいのかというと、
「仕方が無い」とか「誰でもそうする」という理由さえあれば自分の行為はいつでも誰にでも「許される」「見逃してもらえて当然だ」と勘違いしている人が

余りにも多くいませんか?
スポンサーサイト
// HOME // 
Powered By FC2ブログ. copyright © 2005 反骨精神と時の部屋 all rights reserved.
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。