反骨精神を源に軽い冗談から重い本音まで・・・
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やはりと言っていいのか、昨日の文章への即コメントは無かった。
まあいきなり一ヶ月後にブログを書いてそれをピンポイントで見てもらうというのが有り得ない話なのだが、実際仕事でもないのに毎日書くということはとても難しい。

もちろん何気ない日記でいいのなら毎日数行でも書けるかもしれないが、今までここでエラそうに散々理屈をこねまわし熱を吹いといて、いきなり「今日は服を買いに・・・」などという文を書くのもナイ話だ。


つい最近読んだ近年の哲学の文章で
「『知』は対象に対しては様々な分野の論理を自由に組み合わせて普遍的な新しい論理を作るものであり、他人に対してはその知がいつか誰かによって崩壊させられ更新させられ新たなる知への土台となる可能性があるということを受け入れて議論の場に曝すものであるという本質を持つ」
といった様なことが書かれていた。
つまり、『知』というものは、何を使ってもいいから皆が納得できる筋の通ったものにしなければならず、さらにそれを表に出していつでも誰でも反論したりできるようでなければならないということ、だと私は理解した。

確かにいくら正しいと思える考えを抱えていたところで、それを他人と議論もせず、改善される余地がそれ以上ない完璧なものと思い込んでいるのでは、それは理論立てられた『知』ではなく単なる『狂信』『盲信』にしかならない。「たぶんそうだ思うけど違うかもしれないし他人に言う自信がない」といったものでは『知』とまでは呼べないというのもうなずける。

私のこのブログも、多分に勝手で自己満足なものではあるけれども、時には自分の知の議論の場となって、あわよくば誰かの意見によって新たな知の創造に至ることができたら本望だ。



しかし、私がそんな文章を書くのにはテンションというものが必要になってくる。

理屈をこねまわしているのは普段からのことなので、ネタを考え出したらキリがないのだが、それを一気に言葉に出して稚拙ながらも文章にまとめ上げるのには、文章を書こうというテンションが必要になるのだ。
テンションに任せて書いていると、後になって説明不足だと思えるところがあったり、初めの予定とは違う方向へ展開してしまったり、「です・ます」調と『だ・である』調が混在してしまったりするのだが、それもまた現在の自分の文章の特徴としてあえてそのままにしておこうと思う。

そのテンションというのが、毎日毎日容易に維持できるものではないので更新がしにくいのだ。特に私は文章を書く時は独りにしてほしい性格なので、内なるテンションはあっても状況が文章を書くのに適さないということもある。

また、実際こんな堅い文章を読む立場になってみれば

かなりめんどくさいだろう。

となればそれが毎日毎日更新されても飽きに繋がることになる。そうなってしまうのは双方にとってよろしくない。
まあこれは後付けの言い訳だが。


そこでとてもいいことを考えた♪

このブログを週刊連載にしよう!

完璧な週間連載ということではなく、一週間に2~3回のときもあるかもしれないし、冨樫義○のように急にその週はなくなるかもしれないが、まあ1週間に1回を目安に書いてみようということだ。

そうすれば私自身テンションをわざと上げたりしなくても自然とモチベーションが上がる瞬間がありその時に書けばいいので、文章を書くことがさらに楽しくなるというものだ。

また見てもらう方々にとっても、いつ再開するともしれないという部分は完全にはぬぐいきれないにしても、そこそこ間があくと予め解っていれば待ってもらえて、内容も暇なときにしっかり読んでもらえて、週1なら濃いコメントも毎回残してもらえるに違いない!
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